もう少しなんです。
あと少しでBJは救世主になれます。
忘れないために認める・・・
ことの発端はある日急に浮かんだある疑問。
何でやらなければいけないと感じているのに”先延ばし”にしてしまうんだろう?
”先延ばし”みなさんも経験あります?
自分にとって大事だと理解している。
それをすることで確実に自分は楽しくなるし、成長するし、むしろ時間があるならば真っ先にやりたいとさえ日々思っているのに、”先延ばし”しちゃう。
何でなんだろう??
そこで比較できる何かがないかなと考えてみたところ、こんな例えを思いついた。
学校や仕事、バイトや部活、はたまた人と会うとか、テレビで見る人たちのレッスンとか。
”先延ばし”にしませんよね?
寝坊なんてした日には、日常生活ではありえない程の覚醒速度で布団から這い出し、一目散に準備したり、「ヤッベー!!(泣)」って自己嫌悪に陥りますよね。
学校やバイトでは決められた時間の中で、例えやる気がその日なくても、やりたくないなと思いながらも最後までやり遂げますよね。
習慣のように毎日同じことができますよね。
一体何の差があるんでしょうか?
自分発信でやろう/やりたいと思っていることは”先延ばし”にしがちで、そんなに気合も意義も見いだせていないことはすぐ習慣にできてしまう。
自分発信の望には楽なことはなく、退屈で多少の肉体的精神的苦痛を伴うが、その見返りとして成長できる。
何かの資格を取りたいと思ったら、それ相応の勉強をしなくてはいけません。
寝る時間も短くなるし、参考書との睨み合いを何時間も続ける先に、合格という成果があります。
しかしそんな苦痛を望んで受ける人はいないので、楽な方へ楽な方へ逃げようとする。
それが”先延ばし”だという考えをお持ちの方もいるでしょう。
夏休みの宿題を8月31日に泣きながら終わらせた経験のある方も”先延ばし”の罰をくらっている。
こういった質問を投げかけると、着地点は大概抽象的な精神論か、例えを含ませた感情論になりがちです。
だけれども、では聞きますが、
例えば学校に嫌な授業がある、苦手な先生が同級生が先輩がいる。
バイト先に職場に、嫌な上司がいる、働いている意味が見出せていない。
といった苦痛を伴う状況でも、我々は習慣化させて毎日決まった時間に勉強をして働いていますよね?
楽な方へ向かうことが”先延ばし”だという話と矛盾します。
つまり自分発信の理想的な行動と、学校や仕事などの義務的な行動には明確な違いが存在し、
それさえわかってしまえば、
我々は”先延ばし”をすることなく、
自分の決めた行動に対して朝寝坊のような感覚で取り組むことができるはずです!
これが具体的な行動や考え、動作などで説明できたうえに、論理的に納得できる筋道まで公表できれば!
特許でしょう!(笑)
ノーベルなんたら賞受賞でしょう!!(笑)
TEDにて講演のオファーが即入るでしょう!!!(笑)
現在BJがどこまで辿り着いているのかは次回に書きます。
最近一記事で完結させられないな(笑)
以上BJRYOでした
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