今回はBJが今どのあたりまで辿り着いているのかをお話しさせてください。
何のことか訳わかめな方は
こちらを読んでください→”先延ばし”について
理想的な行動の特徴
・なかなか習慣の感覚まで続かない
・”先延ばし”になりやすい
・その行動の結果自分がどれだけ理想に近づくかの想像ができている
・何をすればいいのか、何をしなければいけないのかなどの知識は豊富にある
・過程よりも結果が先行して脳内を埋め尽くしている
・基本一人きりの戦い
義務的な行動の特徴
・すぐに習慣になり日常に溶け込む
・スケジュールが決められている
・その時間内にやるべきことが決められている
・集団で行うことが多い
・その行動の結果どうなるのかがいまいち把握しにくく、過程しか覗けない
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といった分け方をした場合にこの二つの行動にはどのような差異があるのか。
まず最初は、こういった話を展開する際に誰しもが思い浮かぶ抽象的な言葉、
『責任』について考えました。
集団で行うことの多い義務的な行動には、必ず『責任』というものが含まれます。
けれども『責任感』というものがあるから、朝寝坊の時に見たこともないような行動力で自分が動くと言ってしまうことはできません。
それは仕事や人と会うなどの迷惑をかけてしまう対象がいるからこそ感じるものだと思います。
では学校に行くという行為に対する『責任感』とは何か?
学生時代の記憶でも朝寝坊の時は毎回飛び起きていました。
”先延ばし”などしたことがない。
つまり『責任感』だけでは”先延ばし”にしないようにはならないということです。
義務教育の期間は真面目に行動を習慣化できていても、
大学に進学した途端に授業を受けるという行為が習慣にできず、
”先延ばし”にした結果単位を取れなくなる人がでてきます。
これは『スケジュールを誰かに組まれている』という違いがひとつの理由です。
義務教育の学生は、授業には時間割が存在し、その時間に何を勉強しなくてはいけないのか、休める時間、給食の時間、掃除、部活動などの放課後の過ごし方の時間も全て学校や先生に決められています。
しかし大学や理想的な行動などは自分でスケジュールを組まなければ誰も組んでくれません。
だから”先延ばし”になってしまうのか?
だが仮に次の日のスケジュールを組んで次の日を迎えたとしても、そのスケジュールにそこまでの強制力はありません。
「いついつに起きて、まずこれをする。」とスケジュール帳に記入したところで、次の日寝坊しても飛び起きたりはしない。
うーん。これも違う。
では義務的な行動全てに当てはまる項目がないかと考えたら、
『何をすればいいのか教えてもらっている』というのが共通していました。
学校は学びの場なので、先生という立場の方が今何をすればいいのか逐一教えてくださる。
仕事も業務内容は初出社の日から先輩・上司に教えてもらいます。
しかし自分発信の行動にはそういった方が存在しません。
まとめると、
義務的な行動というのは”受け身の姿勢”であり、
理想的な行動というのは想像したり、模倣したりなどの”実践の姿勢”が必要です。
だがしかし!!
仮に翌日のスケジュールを組み、~をする。と責任感を持って寝たとしても。
寝坊した時に跳び起きないと思うんです(笑)
とここまで考えました。
どれをとっても飛び起きたあの気持ちにならない。
跳ね起きたあの絶望感が襲ってこない。
そして、
更に三つの差異が湧きでてきます。
『人に評価される』
『不完全な人間だと認知しているから』
『簡単だから』
今回はここまで!
以上BJRYOでした
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