理想的な行動を習慣にできるかの考察の続きです。
今回も僭越ながらお話しさせていただきます。
何のことかさっぱりだという方は、
まずこちら→ことの発端
その後こちらを読んでください→考察①
義務教育での学校や仕事などの義務的な行動には、『人に評価される』という側面が存在します。
しかし理想的な行動のような自発的なものは、結果に辿り着くまでは『人に評価される』という段階には進めません。
ここに明確な差異があります。
これは、結果を残さない限りそれまでの汗と涙に説得力を付与できない。
といった考え方を元にした、褒められる・認められるから習慣にできるということを言っているわけではありません。
手洗いうがいという自発的な習慣に『人に評価される』といった概念を取り入れることが難しいからです。
BJがここで言っているのは、
その義務的な行動を遂行しなければ、周りの方の自分に対する評価が下がる。
人に「~のような人」に見られたいといった自意識への評価の事です。
この想い感覚が各々の中に潜んでいるからこそ、朝寝坊の際に飛び起きるんです。
何故ならば、日本では遅刻は厳禁。周りの評価が著しく下がることを理解しているからと言えます。
では、
自分で自分の評価を著しく下げることができれば、自発的な行動の際にも飛び起きられるのではないか?
そこで繋がってくるのが『不完全な人間であると認知している』という差異です。
義務的な行動には『人に評価される』という特徴がありました。
この特徴が存在する限り人は永久にそれらを続けられます。
何故ならばひとつは人に褒められる・認められるといった承認欲求を満たす効果があること。
そして自分以外の全員から良い評価を貰えるわけではないからです。
人は人への評価は客観的に見て判断することができます。
しかしいざ自分自身への評価となると、主観と希望的観測、想像などが入り混じり、真実を見失いやすくなります。
大抵過大評価しているか過小評価しているかの二択だと思います。
この二択の中で自発的行動をする際に必要なのは、
自分を過小評価することです。
プロの中のプロのスポーツ選手やその道で独り立ちできていて、憧れの存在となっている方々を思い出してみてください。
恐らくその方々は、その現状にまだ満足できておらず、自分はまだまだ全然できていないと感じているはずです。
この過小評価という感覚があるからこそ自発的にそれをやらなければならないと感じ、
誰に言われるでもなく黙々と習慣にできる。
という構図を想像しました。
逆になんちゃってで活動をしているような、まだ夢を語っている段階にいる人々は、自分のことを過大評価しがちで過信している傾向が高いと思います。
そうでもしないとやってられないという気持ちは痛いほどよくわかりますが、
それでは負の螺旋からは抜け出せません。
この考察の足りないところは、
ではどうすれば自分のことを過小評価できるのか?
そしてそれをどうやって判断するのか?
という二点がまだ説明できないところです。
やろうと思って過小評価している状況を、過小評価できていると言っていいのか。
自覚がある時点でできていないとするのならば、どうすれば無自覚で過信を過小評価へと、それこそ人間そのものを変えられるのか。
持って生まれた感覚だから変えられないとすれば、
この考察における過大評価・過信の状態の人は、一生自発的な行動の恩恵を受けられないのか。
こういった疑問の答えをまだ見つけだせていません。
BJの考え方は、
巷に広がる
「どうやったら自分に自信が持てますか?」とか、
「自分に自信がないことが悩みです」という流れに思いっきり逆行しています。
自分への過信が己への甘えに繋がっているというひとつの真実が判明した今、
なんとか自分を過小評価する方向へと向かわなければならない。
そんなことを黙々と考えている時に、
「柔軟体操などを習慣にできない人がいる中で、お菓子を暴食するのはすぐ習慣にできそう。又はお惣菜で夜ごはんを済ませるとかも毎日続けられそうだな。家で栄養のバランスなどを考えた食事を作った方が、経済的にも健康面でもメリットがあることは誰でも知っている事実なのに。」
と視点を少しずらしてみました。
そして『簡単だから』という共通点を見つけました。
習慣にできることはその本人にとって『簡単なこと』だけなのではないか。
大事なのは”その本人にとって”という箇所ですね。
上の例で考えると、
お惣菜やお菓子は買ってしまえば後は[食べる]だけ。
しかし柔軟体操なら、[いつやるのか/何をやるのか/どのくらいやるのか/どうやってやるのか/]といったことを決めなければならないし、
料理も同じ量の思考の果てに実行があります。
これらを習慣化できている人は思考を必要としません。
だからその人にとっては柔軟体操は『簡単なこと』なんです。
ということは、
自発的に行う理想の行動を、自分の中でひとつの動詞で補えるほどの『簡単なこと』にしてしまえば、
文字通り簡単に習慣にできるんじゃないか。
柔軟体操ならば、頭の中であれこれ考えず、[伸ばす]とだけ考えて適当に始めてしまえば、続けられるかもしれないと考えたわけです。
以上脱!”先延ばし”ということで習慣についての考察を終わりますが。
はっきり言って結論は出ていません!!(笑)
ここからは自らが実践してみて、様々な資料を探さなくてはなりません。
けれども手応えはあります!!
確実に”先延ばし”癖で悩んでいる方に対する救世主になれると思っています。
後は証明するだけです。
2020年に英語で道案内そして日常会話という目標も忘れていません!
詳しくはこちら→『もしなる』
脱!”先延ばし”達成なるか!!
お楽しみに(笑)
以上BJRYOでした
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